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館腰村(たてこしむら)は、1889年から1955年まで日本の宮城県名取郡にあった村である。名取郡の中央部にあり、仙台平野(名取平野)の農村であった。合併により現在は名取市の一部である。面積11.03km²、1955年の人口は4648人。 == 概要 == 1889年(明治22年)の町村制施行にともない、名取郡の植松村、飯野坂村、堀内村、本郷村が合併して成立した。国道4号(陸羽街道)と東北本線が通る要路上にあったが、館腰駅ができたのはずっと後の1985年(昭和60年)になる。仙台市の人口膨張もこの頃は館腰まで及ばず、農村地帯として推移した。 1955年(昭和30年)に周辺町村と合併して名取町を作り、これが名取市になって現在に至る。宮城県が示した合併案では館腰村は南北に分かれ、北の植松と飯野坂が増田町などと一緒に、南の堀内と本郷は岩沼町などと一緒になることが想定されていたが、住民投票によって全村が増田のほうにつくことになった〔『名取市史』390頁。〕。 館腰村にあたる4か村の人口は明治初年に2483人〔『名取市史』219頁。〕であった。名取町合併時の1955年の人口は4648人〔『名取市史』384頁。〕であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「館腰村 (宮城県)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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